揺さぶられる理由

 ニコニコ動画で、久石譲のメドレーを見つけて聴いていたら、「HANA-BI」が出てきた。

 CDも持っているけれど、今は音の垂れ流ししながら掃除などを嫌がる家族がいるので何年も聞いたことがなかった。


 映画にしても読書にしても、観ている最中読んでいる最中、あるいは終わった直後の感情と、その後、自分の脳の中で整理整頓された後の情報に基づく感情がかなり差がある。
 整理整頓された、と書くと、それにより理性的に作品を受け止め分析し評論できる状態になったことをさすように感じられる。
 だが、実際には時間経過とともに自分の人生経験や、対象の作品以外の作品との関連を見出し、鑑賞中・読書中にはリンク付けられなかったさまざまな出来事がリンクされ、鑑賞中・読書中にはなかった深い感慨を呼び起こすことがある。

 なんて難しく書くと敬遠する人も多いだろう。

 ぶっちゃけ言うと、「HANA-BI」を観た時も激しく心を揺さぶられたが、あの映画を最後に観てから何年も経過し、音楽も久々に聴いて湧き上がる感情は、大事な人が死に行く時の自分の心の動き全体に関わってしまうものだった。

 死そのものではなく、「これから、止めようのない、大事な人の死」という時間経過に関わることすべてだ。
 そこには死に直面した人だけではなく、それに関わるほかの家族、友人、既に亡くなっている死に直面した人の親きょうだいを含むものに関するすべての感情が、音楽によって湧き上がってきた。

 味覚や香りから記憶がよみがえるのはプルースト以来なんども語られてきている。五感が引き出す『過去』は細部にわたる記憶をもたらす。そうした、言葉以外で呼び起こされた記憶は、瞬時にほかの記憶を連鎖的に呼び起こす。
 それがなぜかは分からないけれど。

 そして連鎖された記憶だから、複数の感情だから、私達は音楽や色、絵画から呼び起こされた感情に激しく揺さぶられるのではないか。初回よりも、時を経て再会した音楽のほうがさらに深く揺さぶられてしまうのではないか。